いつもこころに太陽を。

念願の「書くこと」を仕事に。言葉の力でもっとたくさんの人を幸せに出来たらいいなと思っています。

ミュシャ展に行ってきました。そんなに混雑してなかった。

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3月25日(土)に、国立新美術館で開催されているミュシャ展に行ってきました。

春休みに入って最初の土曜日だし、混んでるかなと思って早めに出たものの、結局ついたのは開館5分前の9時55分でした。

 

その時点で、チケット売り場は結構列が出来ていましたから、行くなら前もってチケットを用意していった方がいいかもしれません。

 

私はオンラインで購入してから行ったので、そこで並ばずにすみました。

ミュシャ展 |オンラインチケット

 

展示室は入って2階です。入り口から30メートルくらい列が出来ていましたかね。時間になって少しずつ入れてもらえるんですけど、10分程度で入ることが出来たので、それほど待たなかったです。

 

それに少しずつ入れているせいか、中もそれほど混雑している感じはなくてゆっくり見ることが出来ました。

 

今回の目玉である『スラブ叙事詩』5メートル近い大型の作品なので、あまり近寄ってしまうと逆に見づらいです。だから皆さん離れて見ているので、絵の周りに人が溢れてしまって見えない、ということがありません。

 

こういった作品展では珍しく、写真OKの部屋があるので、もしゆっくり撮りたいならこの部屋に先に行った方が空いていていいかもしれないですね。時間が経つほど混んできます。

 

開催直後に行った方のブログを拝見した時に、ポストカードなどが売り切れ続出でグッズがあまり充実していないとあったので、欲しいものが買えなかったら残念だなあと思っていましたが、きちんと補充されていたのでしょうか、ちゃんとそれなりの数がありました。

 

マスキングテープとしおりなど、欲しかったものは無事買うことが出来ました。

 

『スラブ叙事詩』も良かったですが、私はやはりポスターが好き。『4つの花』はとても素敵でした。

コンパニオンプランツ

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コンパニオンプランツと呼ばれる植物があります。一緒に植えると虫除けの役割を果たしたりして、他の植物の成長を助けてくれる植物。

 

ハーブティーとして人気のあるカモミールなどはその例です。一緒に植えてあげると虫除けになる。

 

反対に、一緒に植えると隣の植物を枯らしてしまうものもある。

 

レモンの木がそう。以前それを知らずに、レモンの木の隣にユーカリを植えた。いくらお世話をしても、どんどん葉が落ちて枯れてしまった。

 

調べたら、レモンはレモンで植えないといけないということでした。

 

なんだか人間とおんなじだなと思ったりして。

 

人をサポートしたり、人の役に立ったりする人がいる一方で、一緒にいると人をダメにしてしまうような人。

 

生き物ってのは基本、おんなじなんだかな。

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PTAは本当に必要なんですか。

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またこの季節がやってきた。

PTAの委員、係決め。

 

私はPTAに加入していないので「来年度も加入いたしません」と書いて出すだけなのだけど、周りのママ友の中にはどうしようかと悩んでいる人も多い。

 

いつも見て腹が立つのが「みなさんが平等になるように」とか「経験の少ない人から」というような書き振り。

 

そもそも、公立学校のPTAというのは任意団体であって、強制的に加入させられるものではない。でも、みんなそれを知らないで「入らなければいけないもの」だと思ってる。

 

いえいえ、本来は「加入届」でも出して、加入することを希望した人だけが入ればいい団体です。加入しなければいけないなんて、強制力のある団体ではありません。

 

なのに、勝手に入れておいて「平等に係をやろう」なんてふざけている。何の権利が合って私にそんなことを言うのか、と思って、私はPTAに入ることをやめました。

 

昔、委員をやったことがあります。

 

仕事を休んで会議に参加したり、行事に参加したりして大変でした。下の子の病気のお休みなどもあって休暇が足りなくなり、休日出勤までしました。

 

それでも参加しきれずに、最後の方は欠席ばかりでした。

 

明らかに、仕事をしている人では無理な活動なんだということがよくわかりました。何もせずに参加しないと言っているわけではなくて、やってみた結果、無理だということがわかったからやめたんです。

 

しかも、圧倒的に女性が多い集まり。30分で片付くような議題でも、あーでもない、こーでもないと話が脱線し、ゆうに2時間はかかります。とても時間がもったいないんです。こっちはこれが終わったら、すぐに出勤しなければならないというのに。

 

よくよく考えると、わざわざ委員や係なんて決めなくても良さそうなものだってあるし、そもそもPTAがなくなったらどんな不具合があるんだろうと思います。

 

係決めのたびに2時間以上も話し合いに費やし、あれこれ理由をつけてやりたがらない、そんな組織が必要なんですか。

 

いったんなくしてしまってもいいんじゃないかと思います。それでもし「これがないと困るよね」という活動が出てきたら、その時に考えればいいんじゃないかしら。

 

あんまりないと思うけれど。

 

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DeNAの炎上問題でライターとして初心にかえる、の巻き。

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最近のDeNAの炎上問題、「welq」も関連サイトもすべて閉鎖してしまいました。

 

ここ数ヶ月は全く書いていなかったけど、私も記事を書いていたので、閉鎖されてしまったことはとても残念です。

 

まあ、致し方ないと思う部分もありますが・・・。

 

確かに、他のサイトをコピペしたような記事もありましたが、すごくいい記事を書いているライターさんだっていたのに。

 

運営の仕方がまずかったせいで、すべての記事が埋もれてしまうのかなと思うとちょっと悲しい。

 

中身を検証してから順次公開といっていますけど、中にはいい記事だってあるんです。そういう記事はぜひ残して欲しいなと思います。

 

でも、今回の件で、キュレーションメディアのあり方を考えさせられますね。もともとキュレーションというのは、権威のある人とかその道の専門家が価値のある情報をフィルターにかけて役立つものだけを提供するという性格のものだったと思うのだけど、いつの間にか、単なるまとめ的なものになってしまった。

 

その情報の信憑性など全く無視して、根拠も示されていない個人のブログなどから引っ張ってきた情報だけでまとめたものでも「キュレーションメディア」というようになってしまったのがいけないのかなと。

 

私はそういったサイトをほとんど見ていなかったし、welqで書いていながらwelqはあまり見ていなかった。

 

でも、SEO対策していると、そういうサイトでも上位にきてしまうんですよね。個人のブログなんて、どんなにいいことを書いても、そういうサイトに勝てるんだろうかと思ってしまいます・・・。

 

と、泣き言を言っている場合ではなくて、もっと価値のある、もっと私だけの世界観のある、読んだ人の心を動かせるような記事を書けるようなライターになりたいなと、今回のDeNA問題で、改めて思ったわけです。

 

読んだ人の心に響くような記事が書けるようになれば、数だけのサイトにも勝てるようになるかな。

 

 

WEBライターになって,新しい知識に触れることが楽しい毎日

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私は小さい頃から本を読むのが好きで、たくさん読んではきたけれど、

どうしても好きな作家に偏ってしまったりするので

幅広い読書をしているかというとそうでもない気がしていました。

 

今年、ふとしたことからWEBライターとして仕事を始めて思ったこと、それは、「知らないことってまだまだこんなにたくさんあるんだなあ」ってこと。

 

そりゃ、私が知っていることなんて、たかが知れていることはわかっていたけれど多分人並み以上に本を読んできたし、仕事に関する勉強も色々してきたからそれなりに知識はあるつもりだったんだけど、甘いなあ、ほんとに。

 

ライターになってから、依頼される記事のテーマを見て「なんだこりゃ」と思うものがたくさんあって。

 

聞いたことのない言葉の多いこと、多いこと。世の中にはこんなものがあったんだ、と改めて知ったことが本当にたくさんあります。

 

で、ライターになって一番楽しいのが、これなんですよ。知らなかったことを知ることが出来るってこと。

 

記事を書くためにそれはリサーチに時間をかけますから、調べていくうちに「へ〜」と思うことがたくさん出てくるんですよ。

 

記事を書くたびに、自分が賢くなっていくようで楽しいんです。

 

だから、書くものは単なるまとめ記事ではなくて、根拠がはっきりしたもの、なぜそうなのかがわかるようなもの、そしてそれを知ったら実際に行動したくなるようなもの、そういった記事を書くように心がけているんです。

 

調べれば調べるほど、へ〜っと思うことが多くて、読書を楽しんでいるだけの毎日だったら知ることが出来なかったこと、今は仕事で必要に迫られて調べているけど、そのおかげで知ることが出来たことがたくさんあって、毎日新しい知識に触れられることが本当に楽しい。

 

新しく知ったことを実際に試してみるのがまた楽しいし、今まで疑問に思っていたことが「そうだったのか!」とわかることも楽しい。

 

「知る」「わかる」って本当に楽しんだよって、勉強嫌いな子に教えてあげたいなとすら思います。

 

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全然オッケーはオッケー?

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「全然ダメ、って使い方間違ってないよね。」と娘に聞かれました。

先生が「全然ダメ」と言ったのを聞いて、「使い方が間違ってる」と言い張るのだそうです。

 

 

「全然オッケー」

「全然大丈夫」

が正しいのだというので、その方が間違っていると言っても、いや、私が正しいと。

 

そんなことは辞書を引けば解決するのですが、

「全く。まるで。あとに打ち消しや否定的表現を伴って用いる語だが、俗に「非常に」「とても」の意で用いられることがある。「全然すてき」「全然かっこいい」など。」

とありました。

 

つまり、本来は否定的表現と一緒に使われるはずの言葉ですが、「俗語」として逆の使われ方があるということですね。

 

言葉というのは変化するものですが、真逆の意味に変化するのはなぜなんでしょうね。

 

ただ、若い子が違った使い方、それまでにはなかった使い方を仲間内でするのはまあいいとして、40代ともなれば、おかしな日本語は気をつけないといけないなと思う今日この頃です。

 

しかし、うっかり「全然大丈夫だよ」なんて言ってしまう自分がいます。気をつけねば。

これ美味しいかも〜〜♪ってなに!?

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もう20年前くらいになりますけど、社会人に成り立ての頃。同期の友達がケーキを食べながら、

「このケーキ、美味しいかも〜〜♪」と言ったのです。

 

え、あなた、今ケーキを食べているのはあなた自身なのに、「美味しいかも」って何よ。

 

かもって。自分も味覚もわからないのかい?と思ってびっくりしました。彼女はなにかにつけて「かも〜〜」を連発する人だったのですが、自分の感情に「かも」をつける意味が分かりませんでした。

 

それが、この本を読んでようやくわかった!