いつもこころに太陽を。

念願の「書くこと」を仕事に。言葉の力でもっとたくさんの人を幸せに出来たらいいなと思っています。

親が嫌いじゃダメですか。親に感謝できないとダメですか。

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私は母親が苦手です。好きか嫌いかといわれたら、嫌いです。
 
会話もあまり続きません。話がめちゃくちゃで、何を言っているのかがわからないので疲れてくるからです。
 
母は子供が嫌いだから、孫にも積極的には会おうとしません。まあ、それはいいでしょう。嫌いなら嫌いで仕方ない。
 
でも、こんな人でも親は親。親を好きになれない私は良くない、人としてダメなんじゃないかと思い、悩んだこともあります。
 
こんなんじゃ、自分がちゃんとした親になれないんじゃないかと思ったこともあります。
 
だけど今は吹っ切れた。
 
いいじゃないか、それで、と思うようになりました。それはなぜか。
 
嫌いなものを無理に好きになろうとしても無理だからです。
 
よく、育ててもらったんだから感謝するのは当たり前、なんてことを言う人がいますが、育てるのは親の義務です。産んだのですから、育てる義務があります。
 
そして、子供は産まれる家庭を選べません。私は好きで産まれて来たのではないのです。
 
だから、それに感謝をしろといわれても、何を言ってるんですかという感じです。
 
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ただ、私の救いは父とは仲がいいこと。父は尊敬しています。父に教えてもらったことはたくさんあるし、父の子に産まれて来て良かったと思っています。感謝もたくさんしています。
 
この違いは何だろうと考えてみると、父は私に何も要求しなかったからではないかと思います。
 
勉強が出来るとかできないとか、いい学校に行くとか行かないとか、そういったことは全く考えていなくて、ただひたすら私が丈夫に育つことだけを願ってくれていました。
 
小さい時はとても身体が弱かったからです。そこが母との違いなんだということに気づきました。
 
母は常に、
 
「私が汗水流して働いたお金で食べさせてやってるんだ」
「あなたが外で何かすれば、親の顔が見たいって言われるんだから、恥を描くのは親だ」
 
と、常に「養ってやっている」ことを強調し、世間体を気にしていました。
 
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母は中学しか出ていません。その後は寮付きの理容学校に行き、看護師の資格を取り、若いうちから働いて来たのですが、それが非常にコンプレックスになっているわけです。
 
中学しか出ていないこと。でもそれって、そんなに恥ずかしいことなんでしょうか。
 
頑張って資格を取って、若いうちから一生懸命仕事をしてきたのだから、それは誇りに思えば良いことなのに。
 
そのコンプレックスのせいで、成績の良かった私には、やたらと期待をしていましたね。迷惑な話です。
 
将来どんなことをしたいのか、どんな仕事に就いて生きていきたいのかということを考えることが大切だと思うのですが、私に対してはそのような話はなかったです。ただただ有名な大学に入って欲しかったようです。
 
たまたま合格したのは名の通った学校でしたので、それはそれで満足していたようですけれど、何故そこに行く必要があるのかということはどうでも良かったみたいですね。
 
生い立ちについては、同情すべき点はあります。お金がなかったから、高校にも行けなかった。働くしかなかった。それはそれで大変だったでしょう。その苦労は、私にはわからない。
 
でも、それと私は関係ない。私に、自分ができなかったことの穴埋めを押し付けないでほしい。そんな思いが強くありました。
 
子供の頃に言われたこと、されたことは、いつまでも覚えているものです。
 
そんなこと許せばいいし、もっと親と仲良くしないとという意見もあるでしょうが、許せても、苦手なものは苦手。こればかりはどうしようもないです。
 
育ててもらったことには感謝をしていますし、大学まで行かせてもらったこともありがたいと思います。自分が親になってみて、子供を育てるということはどんなにお金がかかるのか、身にしみてわかったからです。
 
でも、好きじゃないのです。好きになれないのです。
 
こんな気持ちのままでいいのかと葛藤したこともありますが、最近は吹っ切れました。
 
血が繋がっていても、一緒に暮らしたとしても、違う人間なので、好き嫌いの感情はどうしようもない。子供してできることはしていくけれど、親を好きになれない自分を責めることはやめました。
 
理屈ではどうしようもないこともあるのです。
 
吹っ切れると不思議なもので、それほど嫌悪感も感じなくなってきました。親もいい年ですし、今のうちにできる親孝行はしておこう、そんな気持ちすら持てるようになりました。
 
自分を責めないって、大事ですね。

 

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自分軸がないとどうなるんだろうか

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自分軸100%で生きることは難しいです。あるかないかというよりも、自分軸の割合が多い方が、自分らしい生きか確できるのではないかと思っています。
 
自分軸がないとどうなるか。
 
  • 人の顔色ばっかり伺ってしまう
  • 人の評価=自分の価値、と考えてしまう
  • 自分の本当の気持ちがわからなくなる
 
こんなことが起きると思います。
 
やりたいことがあるのに、「こんなことやりたいって言ったら、どう思われるだろうか」って気にしたり、人に何か言われると、自分を否定されたような気持ちになって落ち込んでしまう。
 
これはとてももったいないことだと思うのです。
 
それは、他人が自分の人生に責任を持ってくれるわけじゃないからです。責任を取ってくれない人のために悩んだり、迷ったりして、自分のやりたいこともできなくなる、言いたいことも言えなくなるのはとてももったいない。
 
だから、まずは一つでいいから、自分の中で「これだけは譲れない」というポイントを持っておきたいと思います。
 
誰かにその軸を倒されそうになったら、意地でも守る。その軸が、少しずつ太くなったり、数が増えていけば、他人軸よりも自分軸の割合が増えていくと思います。

子供にゲーム禁止といえば勉強をするのかって話

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うちの子、ゲームばっかりして困ると思っているママは多いと思います。保護者会でそんな声を聞くこともあります。
 
では、「勉強しないんだったらゲーム禁止!」といえば勉強をするようになるのかというと、そんなことはない。ゲームの禁止と勉強は結びつきません。これは、自分が子供だったらどうか?と考えればわかることです。
 
親に大好きな遊びを禁止されたからといって、好きでもない勉強に打ち込むかといったら、そんなことはないでしょう。むしろ、親への反発心が強くなるだけで、勉強に意識など向かないと思います。
 
それはなぜか。ゲームの方が楽しいし、面白いからです。勉強はめんどくさいし、面白くないからです。これに尽きます。
 
つまらないことやりたい子供はいない。勉強が大事なんて言われても、「こんな公式覚えて何の意味があんの?」とかいっていうこと聞きません。
 
ではどうしたらいいか。勉強の楽しさと必要性を子供が知ることです。
 
勉強が楽しい、面白いと思わないとダメなのです。ゲームより面白いと思わなければ、ゲームをほどほどにして勉強に打ち込むなんてことはしない。
 
もしくは、「勉強しないとまずい」と子供自身が思うことです。これは、「こんな成績じゃいい学校へは入れない!」と大人の価値観を押し付けることではなくて、生きていくためには勉強するってことが必要なんだと、子供自身が気づかないといけません。難しいことですが。
 
この2つ、簡単ではないのですが、これこそが親のやるべきことだと思ってます。うちも試行錯誤で、なかなかうまくいかないですが、一生懸命、子供のやる気スイッチを探しています。
 
子供自身が見つけるか、私が見つけるか、どちらが先だかわかりませんが、やる気スイッチをオンの状態にしなければ、ゲームを禁止しても逆効果。頭ごなしに押さえつけても、それでは中身のある勉強をしてくれるようにはならない。
 
うちで心がけていることはこんなことです。
 
  • 私が読んで面白かった本を紹介する。
  • 私が勉強して知ったこと、学んだことなどを「聞いてよ」と言って教える
  • ゲームを一緒にやる
  • 今やっているゲームの面白いところを教えてもらう
  • ゲームを通して英語を学ぶ(日本語バージョンがないゲームは必然的に英語が読めるようになります)
  • クラッチでプログラミングを学ぶ
  • 一緒に本屋に行く
  • 一緒に動画を見る
 
ゲームを否定するのではなくて、一緒にやってみると面白いです。私もゲーム好きなので、ゲームについての話は結構盛り上がります。子供たちが、ゲームを通じてでもいいから、いろんなことに興味を持ってくれればいいと思っているのですが、ゲームのおかげで歴史や政治に興味を持つこともあるんですよ。だから、ゲーム=悪、みたいな考えはよくないと思ってます。
 
動画も、くだらないのもたくさんありますよ。でも、ためになるものもたくさんあります。政治や経済について、とてもわかりやすく解説してくれている動画なんかを一緒に見ると、テレビ見ているよりも楽しいです。それについて、お互いに意見を言い合ったりして。
 
勉強って、考えることがたくさんだから、面倒なんですよ。でも、ゲームだって考える要素はたくさんあるし、面倒なはずなんだけど、なぜか続くんですね。
 
その面白さ、楽しさを勉強の中に見出してくれたら。わかる楽しさ。新しいことを知る楽しさ。
 
それを大人である私自身がまずは体感し、その感動を子供たちに根気よく伝えていけば、しっかり勉強するようになるかなと思い、今日も試行錯誤です。
 
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40代の生き方で大事だなと思ったこと

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20代もあっという間だったけど、30代は何したかあんまり覚えていなくて、さらに40代は結構激動だった割に、早く過ぎすぎて、「時を戻そう」と言いたくなるほどです。
 
20代の頃、自分が40代になっていることが想像つきませんでした。歳をとるってどういうことなんだろう、シワが増えて、白髪も出てきて、中年太りになって・・・。そんな、ネガティブなイメージばっかり持っていて、歳をとりたくないって真剣に思っていた大学生の頃。
 
実際に40代になって、もう50代が見えているという年齢になりましたが、歳をとるってのは悪くないなと思っています。
 
確かに、見た目は衰えるかもしれませんけれど、自分の中身は20代の頃とあまり変わっていないので、昔の服を見て、ああ、こんな細いスカートが履けたんだなと思うこともありますが、まあこの年齢だから仕方ないと、不思議と諦めもつくものです。
 
歳を重ねて思うのは、歳をとるほど中身が大事になってくるということです。私は、まだまだ足りないなと本気で思っていますので、本を読んだり、美術館に足を運んだり、子供達とゲームしたり、いろんなことに好奇心を持って取り組んでおります。
 
中身とは何か、人によって定義は違うと思うのですが、私は「経験すること」だと思っています。いろんな経験、体験です。
 
これを積み重ねている人は、自分の「層」が厚くなってと思うのです。それが、人としての器の大きさにつながっていくのではないかと。
 
色々なものに触れて、色々な人と出会って話して、たくさんのことを経験していく中で、自分の器を少しずつ広げていくことができる。私はまだそれが足りないので、器が小さくて困っているんですけど、こればかりは頑張って広げていくしかありません。
 
  • 当たり前を疑う。
  • 「普通さ〜」って言葉を使い出したら、視野が狭くなっていると思う。
  • やったことのないことにどんどんチャレンジする。
  • 興味のない分野の本も読んでみる。
 
こんなことに気をつけて、心がけて生きていこうと思っています。
 
いい大人なのに、「この人中身がないな」って思われたら、ちょっと恥ずかしいと思うので。
 
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「すいません」よりも「ごめんなさい」とか「ありがとう」がいいな

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つい使ってしまう、「すいません」という言葉。
ちょっと丁寧に、「すみません」ということもあるけれど、なんとなく軽い感じがして、心がこもっていないように思えてしまいます。
 
誰かに何かしてもらったら、すいませんというよりも、「ありがとうございます」と言いたいなと思っています。
 
謝るときは、「ごめんなさい」です。その方が、丁寧で心がこもっている気がしませんか?
 
日本人は感情表現が苦手な代わりに、語彙が豊富なのですから、言葉を変えてもっと気持ちを適切に表現できたら、人との関係もスムーズにいくのではないかと思います。
 
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カウンセリングを学んだおかげで嫌いな人が(少し)減った件

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昔は嫌いな人ばっかりで。ちょっと合わないなと思うと、この人嫌い!って思うことが実に多かったのです。
 
嫌いな人が多いと、疲れます。イラっとすることが多くなるので。
 
イラっとする時ってのは、自分の考えや価値観と合わないと思った時なんですが、まあ、自分の思った通りに出ないと腹がたつという、未熟者だったわけです。
 
親になって、これではいかんと思うようになりました。性格悪いなとか、他人様にどう思われてもいいのですが、こんなに視野が狭いのでは、きっと子供に悪影響を及ぼすだろうと。
 
そこで、通信教育ではありますが、カウンセリングを学びました。カウンセリングの本もたくさん読んで、カウンセラーの資格を取りました。これが私の視野を広げてくれるきっかけになりました。
 
カウンセラーというのは、自分の価値観で人をジャッジしてはいけないわけです。自分の価値観や自分の世界はいったん脇に置いて、相手の世界観でものを見る訓練をします。そして、それがいいか悪いか、白か黒かをはっきりさせるのではなく、「そうなんだね」と相手を丸ごと受け止める。と、私はカウンセリングをするとはこういうことだと思っています。
 
そもそも人の価値観にいいも悪いもないのですが、昔は自分の世界と合わないものを全て否定してしまっていたので、ずいぶん嫌なやつだっと思います。しかし、カウンセリングを学んだおかげで、私は私、あなたはあなたと、区別できるようになりました。
 
おかげで、こいつやだ!と思うことは少なくなりました。その人が抱えているものやバックボーンに想いをはせることができるようになったからだと思います。少なくとも、私が勝手にジャッジするのは失礼だなと思うようになりました。
 
子供に対しては、どうでしょう、自分ではわからないけれど、親の価値観で子供の考えを否定しないように気をつけています。子供は、私から生まれてきたけれど、私の所有物ではないし、私とは別の人間です。
 
遺伝子を引き継いでいるだけで、全く違う人格を持った、一人の人間。そのことを尊重したいと思っています。
 
カウンセリングを学んでいなかったら、子供の意見なんて否定しまくっていたかもしれないと思うとちょっと恐ろしいですが、「自分の価値観をいったん脇に置いて話を聞く」ということを学んだことは私にとってとても大きかったです。
 
もし子育てとか、夫婦関係とか、ママ友関係とか人間関係のことで悩んでいる人がいたら、カウンセリングを学んでみるってのはどうでしょう。
 
冷静に人の話を聞いて、そうだね、って受け止めてあげられるようになるかもしれませんよ。
 
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言葉遣い

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自分の言葉は、自分に暗示をかけているようなものなので、なるべくいい言葉、前向きな言葉を使いたいものです。
 
もちろん人間ですから、落ち込むこともあるし、後ろ向きにしかなれない時だってあります。だからこそ、言葉くらいは前向きに、気持ちが上向きになるような言葉を選びたい。
 
  • どうせ
  • 無理
  • でも
  • だって
 
これ、あんまり良くないですね。つい口に出しがちな言葉ですが、自分を否定する言葉です。
 
あえてそんなことをしなくても、学校や会社で自分を否定してくるような人に会うのですから、自分くらいは自分を否定しないようにしたいものです。
 
どうせ、でも、ってつい言いたくなることもあります。そんな時こそ、楽しくなるような言葉を考えて、声に出すようにしてみるといいですよ。
 
できれば人がいない時に。ちゃんと口に出すといいです。
 
頭の中で思い浮かべるだけでなく、声に出すと、自己暗示になるからです。
 
私は疲れたら、「よし!」とか「できる!」「大丈夫!」って声に出します。そうすると不思議なことに、なんだか大丈夫な気持ちになってきます。
 
騙されたと思ってやってみてください。
 
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