いつもこころに太陽を。

念願の「書くこと」を仕事に。言葉の力でもっとたくさんの人を幸せに出来たらいいなと思っています。

やっぱりライブはいい!

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今日は娘のおつきあいで、池袋サンシャイン劇場で「忍たま乱太郎」のミュージカルを見てきました。

久々のライブ感、とても楽しかったです。

でも、忍たま乱太郎をどうやってミュージカルにするのかしら、お客さんて子供ばっかりなのかしら、と思いきや、20〜30代くらいの女性がとても多かったですね。

歌とダンスで、最後まで飽きさせないステージはとても素敵でした。

サンシャイン劇場は少し小さめの劇場なので、舞台に近くて、それがとても良かったです。

平日の席はまだ少し空きがあるそうですよ。ご興味のある方はぜひ。

やっぱりライブはいいな。

これをDVDで見ても、生で見る感動とはまた違うんですよね。絵画でも何でも、写真で見るのと生で見るのは違うでしょう。

生で見るというのはそこでの空間、時間を共有すること。キャストとお客さんと一体になっている感覚は、DVDでは得られない。

絵などの芸術作品はまたちょっと違うけど、何百年も前に描かれた絵を前にすると、それを描いた作者と時を超えて何かを共有できるような気がします。

娘には、色々なものを「生で見る」「実際に肌で感じる」という経験を沢山積んで欲しいなと思っています。

私としては、次回上演予定の「スロウハイツの神様」もとても見たくて・・・。辻村深月さんの小説が好きで、特にこのお話が好きなので、どういう風に舞台になるのか、是非見たいところです。

 

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そのTシャツはどこで買ったんですか。

今日渋谷駅で、

JOHN!

と大きく書かれたTシャツを着た外国人を見たのです。

外見は欧米人?英語圏の人なのかどうかはわからないけど、 これって日本人が

ひろし!

とか

たかし!

って書いたTシャツを着てるようなものかなと思うと、ちょっとおかしかった。

いくらなんでも、名前をストレートに書いたTシャツはあんまり着ないですよね。でも、「Tokyo」とか「NewYork」も似たようなものか。

 

日本で買ったのかな?

 

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それでは逆に目立ってしまうのでは・・・

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今日はお天気も良く、子供を連れて上野動物園に行ってきたのですが、やっぱり家族連れが多かったですね。

しかも、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒の家族がとても多かった。

 

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私はなぜか、昔から「カツラ」にとても敏感で、「あ、あの人カツラじゃん」とすぐに目がいってしまうのです。

しかし最近のカツラはとても良くできていますから、「ヅラ評論家」の私でも見分けることができないものもあるのです。

まさに、カツラの役割を全うしていますよね。見事に隠しているわけですから。

ところが今日は、とても残念な方を2名ほど見かけました。

同じパターンなのですが、地毛が白髪になっているのに、かぶっているのが明るいブラウンのカツラ。

まさに「かぶっています」と表明しながら歩いているかのようです。もはやカツラではなく、帽子に近いものになっています。

ハゲを隠すどころか、「私ははげています」と宣伝しているようなものなので、どうせかぶるなら地毛とミックスして分からないような色にするとか、何か方策はなかったのかと気になってしまいました。

いや、もしかしたらその明るいブラウンが気に入っていて、あえてかぶってらっしゃるのかもしれないのですが・・・。

カツラはとても高級品なので、いくつも作り直すのは大変かもしれませんが、だったら地毛をカツラの色と同じ色に染めるとか、目立たなくする方法がいくらでもあるのに、とおせっかいなことを考えながら、後ろ姿を見送ったのでした。

家族はどう思っているのかと、どうでもいいことを考えながら。

ちなみに、私はもし夫がはげたら、短くするなり、カツラをかぶるなり、植毛するなり、好きなようにさせてあげますが、最終的に似合っていてかっこ良くなってくれればいいなと思っています。

 

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明治神宮の御朱印

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明治神宮といえば、初詣の参拝客が日本一多い神社として知られていますね。私も三が日に行ったことがありますが、それはそれは大変だった・・・。

 

参道からものすごい行列で、お参りするまでどのくらい歩いたかな。30分以上は並んだと思います。お賽銭を入れるところまではとてもたどり着けないと思い、遠くから投げたっけ。

 

でもさすが日本一だなと思いました。風格が違います。

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この日はあいにくの曇り空で、キレイな緑色が撮れなかったんですけれど、本当にここは渋谷区なの?と思うくらい、静謐な空気が流れる空間です。

 

明治神宮明治天皇昭憲皇太后をお祀りしている神社ですから比較的新しい神社ですけれど、結婚式が出来る明治記念館などもあり、とても人気の高い神社です。

 

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私が行った時は残念ながら本殿が工事中でして、奥まで行けなかった・・・。工事が完了したらまた行きたいと思っています。

 

でも、無事に御朱印は頂いて参りました。

なんといいますか・・・風格が違う。見ているだけでうっとりします。

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新緑の季節、都会の真ん中で森林浴も出来ますね。

ゆっくり散策してみるのはいかがでしょうか。

www.meijijingu.or.jp

 【最寄り駅】

・原宿口<南口>

JR山手線「原宿」駅

東京メトロ千代田線

副都心線明治神宮前<原宿>」駅

・代々木口<北口> JR山手線「代々木」駅

都営地下鉄大江戸線「代々木」駅

東京メトロ副都心線北参道」駅

・参宮橋口<西口> 小田急線「参宮橋」駅

 

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私はいつまでご飯を作り続ければいいんだろう

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「どうして女の人は仕事をしながら家事もしなきゃいけないの?」というのが、長女の最近の疑問である。

 

私もそれは昔から思っている。結婚当初はそれでけんかもしたっけ。なんで私ばっかりかじをやらないかんのか、って。

 

でも、そういう人と結婚してしまったのだから仕方ないよね。男と女には役割があるという考えの人だから。嫌なら別れるしかないんだしね。

 

ただ、子ども達は違う。娘にも息子にも、同じように家事をしっかりやらせようと思っている。家事に性別なんて関係ない。

 

自分で自分のことも出来ないのか

ご飯を作れない。掃除が出来ない。洗濯できない。これらは、自分で自分の面倒が見られないという、大人として、人として、恥ずかしいことなんだよということをまず理解させよう。

 

私は家事に性別は関係ないと思っている。だから、男女問わず、一通りの家事は、独立して家を出ていくまでに身に付けておいた方がいい。

もしそれができなくても、独り立ちしたら自分のことは自分でやる。これは当たり前。

 

それが、なぜ結婚すると妻にやらせようとするのか。料理が苦手なら作らなくてもいい。でも、片付けることは出来るはず。ごみを出したり、洗濯物をたたんだり、出来ることは山ほどあるはず。

 

もしできないとしたら、大人としてどうなんだ?と思う。

家事を「手伝う」のは義務だと思っていない証拠

私は「家事を手伝う」とか「育児に協力的」とか「イクメン」という言葉が嫌い。この言葉から感じるのは「私の仕事じゃありませんけど、お手伝いはしますよ」という、主体性のない気持ち。

 

要は、自分の義務だとは思っていないのだ。「手伝い」なんて言っている時点で。子どもと変わらんじゃないか。

 

あなたの家だし、あなたの子ども。家事をするのは当たり前で面倒みるのも当たり前。そういう気持ちがあったら「手伝い」なんて言葉は出てこないはず。他人事だと思っているから「手伝い」になる。

 

昔、保健所の乳児検診の質問にも腹を立てたっけ。「旦那さんは育児に協力的ですか?」だって。

その場では「はい」と答えたけど、なんで私が「協力してもらう」という立場なのか、行政がどうしてそんなことを言うのか、と腹が立った。

 

もちろん、父親じゃ母乳はあげられない。でも、それ以外のことはすべて出来るんだよ。やろうとしないだけ。協力ってなんだ。何様だ。

たぶん、色々制限されてきたという気持ちがある

私の場合は、家事自体はものすごく嫌いだというわけではないのだけど、圧倒的にそれに割く時間が違うことに腹が立つのである。

 

保育園のお迎えは当然のように私だった。だから残業が出来なくなった。その分、昼間必死で働いて、昼休みも仕事した。終わらなければ翌日早く行って仕事をした。残業代もでないのに。

 

でも夫は好きなように(本人は好きで残業しているのではないが)残業し、それについて私に申し訳ないと思うわけでもない。

 

私には平日の自由がない。夫は好きなように飲みに行くが、私は子どものお迎えと家事、育児。こんなの不公平だ。

転職するときも、仕事時間がネックになった。いいなと思う会社があっても勤務時間が難しい。仕事選びもままならない。不公平だ。

 

私ばかり、なぜ自由な時間も仕事も制限されないといけないんだろう。そんな思いをずっと抱えてきたように思う。

夫が一生懸命仕事をしていることは分かっている。だけど、どうにも自分の人生が制限されているという思いがぬぐえない。

 

だからこそ、これからの人生はどうやって生きようか、と最近よく考える。私はいつまでご飯を作り続ければいいんだろう。

 

そして、子ども達にはもっと自由に生きて欲しい、そんな世の中になって欲しいと心から思う。

男の人も可哀相だと思う

とはいえ、今の世の中の「役割分担」は男の人にとっても辛いのではないかと思う。

もし父親が家にいて「専業主夫」をしていたら、世間はどう見るだろうか。私なんかは「なんてうらやましい。うちにも一人欲しい」と思うけれど、大半の人は「なんで男のくせに外に出て働かないのか」と思うのではないだろうか。

 

そんな無言のプレッシャーで、男の人は仕事をやめたくても辞められない。女性は、社会進出が阻まれている一方で、「働きたくないから結婚して辞める」という人が多いのも事実。まあ、働きたくないと思っている時点で、組織には必要ない人だから辞めた方がいいのだけれど。

 

男性も女性も性別に縛られすぎて、生きづらくなっていると思う。もっと柔軟に考える子どもを増やして、性別で役割を決めるんじゃなくて、その人の向き不向きでやりたいことが出来るような世の中になったらいいな。

 

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レモンの花が咲きだした。

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今年もレモンの花が咲きだした。

去年は4つ、実がなったのに、1つ取られてしまったっけ。鳥がつついたくらいじゃとれないのに、誰が取ったんだろうね、と家族とちょっとショックを受けたっけ。

 

レモンの花って、とてもいい香りがする。甘くてさわやかな香り。蕾はピンク色だけど、咲くと白くなる。

レモンはミカン科だから、みかんの花と似ている。

 

鉢植えで買った当初は1メートルくらいだったレモンの木が、いつの間にか倍くらいになった。

 

子ども達の成長と同じであっという間に私の身長を超していった。

 

さて、今年は何個実をつけてくれるかな。レモンの旬は晩秋。口にするまではあと半年以上あるけど、毎日丁寧お世話して、その時を待ちます。

 

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読書感想文が書けない理由

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娘がいつも、「感想文が書けない〜〜〜」と泣きついてきます。この間も、哲学のエッセイを題材に感想文を書くという課題で、どうにもまとまらないと苦戦していました。

読書感想文が得意だった私からすると、なぜ書けないのかと思うのですが、それには主に3つ理由があると思います。

1.小学校の時に教わらないから

さあ、読書感想文を書きましょう、といわれて、書き方を教わった人はおそらく皆無だと思います。

感想文を書くには、導入をどうするのか、あらすじをどの程度入れるのか、乾燥や考察はどう書くのかなど、文の構成を考えないといけませんが、それを教えてくれた先生がいたでしょうか。

 

少なくとも、私が通っていた学校では教えてくれませんでした。

ですから私は、区が出している読書感想文集などを読んで、「学校で評価される読書感想文とはどういうものか」ということを研究してから書いたんです。

だから、「学校の課題としての読書感想文」は得意でしたよ。

 

言うまでもありませんが、学校で評価される読書感想文=いい文章、人の心を打つ文章ではありませんからね。

2.誰に向かって書いているのか分からないから

文章というのは読み手を意識して書くものです。ブログでもそうですが、誰が読むのかということを考えないで書く文章は、ただの独り言になってしまいます。

 

学校で書く読書感想文は、

  • 先生に書くのか
  • 親に書くのか
  • 友達に書くのか

誰に書いているのか分かりませんよね。

 

「先生にこの話の面白いところを教えて!」と言われれば、先生に話すように書くと思いますし、友達に教えるなら、書き方はまた違ってきますよね。

 

だから、その一点だけを決めてくれるだけでも、何をどう書けばいいのかということが子どもには伝わりやすくなると思うのですが、そんなことを言う先生はいなかったと思います。

3.文章を読むだけで考えていないから

人間、思っていないことは書けないのです。

 

だから、本全体を通して「面白かった」とは思うかもしれないけれど、それぞれの場面での出来事や登場人物の行動、心情などを細かく分析して、その一つ一つを自分がどう感じたのかとか、どう思ったのかということを順を追って考えていかないと、原稿用紙数枚の感想文なんて書けなくて当たり前なのです。

 

かといって、だらだらと感じたことを書けばいいというものでもないので、ここで1の「教わらなかった」というところに戻ってしまうんですけどね。文章を書くには、いきなり書き始めないである程度構成を考えてからでないと書けませんからね。

 

自由に書きなさいが一番困る

何でもいいから自分の感じたことを自由に書きなさい、が一番困ると思います。特に子どもは。

だって、「おもしろい」くらいしか感じなかったんだもん・・・という声が返ってきそうです。

  • 主人公に対してどう思った?
  • ○○はどうすればいいと思った?
  • 自分だったらどうする?

など、具体的に聞いてくれたらきっと書きやすいですよね。

 

そうはいっても読む力もつけないと

まあ、書き方については教わってないという言い訳も通用しなくもないのですが、感じ方は別です。

 

どう感じたか、どう思ったか。それは一人一人の問題であって、たいした感想も持てなかったというのは、思い切りその作品がつまらなかったか、想像力が足りないかのどちらかです。

 

書き方は訓練が必要ですし、どこで誰に向かって書くかによって書き方も違ってきます。

 

でも、どう感じるかは本だけの問題ではありません。たぶん、普段の暮らし方からして見直した方がいいかもしれないです。

 

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