いつもこころに太陽を。

念願の「書くこと」を仕事に。言葉の力でもっとたくさんの人を幸せに出来たらいいなと思っています。

アロマテラピーに出逢って、もう15年かとふと思った。

f:id:kahohime:20171213180015j:plain

私がアロマテラピーの勉強を始めたのは、長女が生まれてから。もう15年くらい前になります。

その前からアロマテラピーという言葉は知っていたのですが、良い香りを部屋に漂わせる、インテリアアイテムのようなものだと思っていたのです。

それがなぜ、長女の出産を契機に本格的に勉強するようになったのか、それはアロマテラピーが薬のような働きをするということを知ったからでした。

<スポンサードリンク>

 

 

長女は乾燥肌で、段々湿疹も出てきました。アトピー性皮膚炎だと言われてはいなかったのですが、症状はまさにアトピーでしたね。私もアトピーだったからわかります。

肘の裏側とか、膝の裏側とか足首とか、曲がるところが弱くなりがちで、お風呂なんかに入ると温まってものすごく痒くなってしまうんですね。

かいちゃダメ!って言ったって子どもですから、痒いと思ったら先に手が出てしまいます。

かきむしって、血がにじんで、本当に可哀相でした。病院にも当然行きましたが、なかなか良くならなかった。

だから、薬に頼るだけじゃダメだ、スキンケアもしっかりしないと、と色々なスキンケア用品を買いました。でも、どれもなかなか効果が出なくて。

あれこれと試しているうちに、アロマテラピーに出逢ったんです。

 

アロマテラピーって香りを楽しむだけだと思っていたのに、マッサージしたり、スキンケアにも使えるんだと知って、早速色々試してみました。

アロマテラピーで使う精油は薬ではないので、劇的にはだがキレイになるということはもちろんありません。

 

でも使ううちに、段々と肌が丈夫になってきたような気がする。娘よりも、私の肌の方で先に実感できました。

私も乾燥肌&敏感肌で、ひどい時は夏でも粉を吹くような状態でしたが、アロマテラピーを始めてからはそんなことがなくなったんです。

今まで、肌に悪いことばっかりしてたのかな、と思いました。化粧品にかけるお金は劇的に減ったのに、肌はとても健康になりました。

これも、アロマテラピーでシンプルなケアにしたからかなと思います。

娘は薬も併用しながら、スキンケアを頑張ることでだいぶ肌の状態は改善されました。

 

アロマテラピーって、香りを楽しむこともできるし、肌にも使えるし、肩こりとか筋肉痛にもいいんですよ。

あれから15年。インストラクターの資格を取ったり、メディカルアロマの講師として転職したりと、アロマテラピーとの関わりで私の人生も変化しました。

さて、これからどうしようかなと色々考えています。

昔に比べたら「アロマテラピー」という言葉もだいぶ浸透してきたと思いますが、もっともっと、家で手軽に楽しんで欲しいと思います。

一家に一本、精油を常備しておく、みたいに。

こんな時はこのアロマがあるから大丈夫だよね、って感じで、アロマテラピーが普段の生活に浸透していったら、毎日はもっと楽しくなるんじゃないかな。

そんな思いで、もっとアロマテラピーを広めていきたいなと思います。

<スポンサードリンク>

 

ホン!気!ラに行ってきた!

f:id:kahohime:20171212210909j:plain

12月7日(木)、ホンギのミニライブに行ってきました。今年2回も会えるとは!生の歌声を聴いて、本当に楽しかったです。

ミニライブなので、11曲でしたが、トークが長かったのも楽しかった。

古家さんがマスターになった”居酒屋仕立て”のトークは、時折本音も混ざってるな〜と思うような内容で、ホンギを身近に感じられるライブでした。

ただ、最後の方に話してたこと、「もっと自由に生きたい」ってことね、そう出来ないことが本当にストレスなんだろうなと思いました。

売れてしまうと色々と制限があってプライベートも大変なんでしょう。

この数日後、

Im just vocal,actor,dj

not your boyfriends

dont tell me your fantasy

 というインスタの投稿がね。

ライブで、芸能人になると少なからず影響力があるから、ちょっとしたことでも反響が、ってなことを言っていたから(恋愛の話題とか)、何か彼の気持ちを患わすような出来事が合ったのかな、と思ったけれど、それを聞いてなかったら、いきなりどうしたの?何怒ってるの?と驚いてしまったかも。

自分は歌って、演技をして、本来はそういうことだけを頑張っていればいいはずなのに、って言っていたし。確かにその通り。

何かに傷ついたのかな、イヤな思いをしたのかな、と心配してしまいます。

でも、そんなファンばかりじゃないはず。

ホンギの歌とか、演技とか、作る曲とかを純粋に好きだというファンがたくさんいるはず。

だから、おかしな人にめげずに、患わされずに、これからも頑張って欲しいと思います。

 

<スポンサードリンク>

 

 

私なりの幸せを見つける方法

f:id:kahohime:20171125181106p:plain

 

私にとっての幸せって、どんなことだろう。

私にとっての幸せは、やりたいことをやりたいようにやって生きること。

でも、そんなこと無理じゃない?
やりたいことをやりたいようにって、やりたいことだけやっていけるわけじゃないしそれで食べていけるの?

そんな声が聞こえてきそうです。

食べてくことは大切です。
収入は大切です。

でもその前に考えて欲しいこと、それは「自分にとっての幸せとは何か」ということ。

もしかしたら働くことではなくて、ボランティア活動のようなこと、報酬ではなくて誰かのために活動することが幸せと感じるかもしれないし、外に出るのではなくて、家事を一生懸命やり子どもたちと過ごす時間が何よりの幸せなのかもしれない。

自分がこれから生きていく上で何が一番幸せなのか、一度でいいから真剣に考えてみるといいです。

すぐに答えは出ないかもしれません。
もしかしたら、ずっと答えが出ないかもしれません。

だけど、考えないよりはまし。

自分の人生だし、たった1度の人生だし。

考えて生きていかないでどうする。
幸せにならなくてどうする。
私はそう思います。

今日の朝ごはんは美味しかったなあ。
公園で子どもと遊んだのが楽しかったなあ。
会社で上司に褒められて嬉しかったなあ。

毎日何かしらあなたにとっての幸せが降ってきているはず。

それの積み重ねが幸せなのかなとも思う。

いやいやそんなことじゃない、そう思うなら、どんな状態が幸せなのか、それはその人にしかわからない。

だから、自分で見つけないと。

どうすれば見つかるのかなと迷ったら人に話してみることですよ。
ねえ、幸せって何かしら?って。

話しながら、気づいていくこともあります。

もしも今幸せでないと感じているならとにかく、何でもいいから日々の習慣や行動を変えてみることをオススメします。

行動することでしか、人生は変えられないからです。

<スポンサードリンク>

 

 

ごはんを手作りしてきて良かったと思えた日

f:id:kahohime:20171120090647j:plain

昨日は末っ子の保育園の親睦会で、公園に集まってみんなで遊ぼう!という日でした。

持ち物はお弁当とダンボール。

原っぱの緩やかな傾斜のところで、ダンボールですべり台を作り遊んだりして、子ども達は大はしゃぎでした。

 

私は朝から娘のリクエストの唐揚げを作り、おにぎりを作り、でもどうせ友達と会えばお弁当なんてそっちのけで遊びだすから、後は果物くらいでいいや、と思ってました。

他のおうちはもっとちゃんと作ってくるかなあ、なんて思いながら。

でも、実際その場に行ったら、お弁当を作ってきたのはうちだけでした。みんなコンビニ弁当だった。

 

私は「持ち物:お弁当」とあったから、「作る」以外の選択肢が思い浮かばなかったのです。コンビニ弁当が好きではないから。

 

べつに、お弁当を作った私が偉い、と言いたいのではないです。みんな平日仕事だし、休みの日くらいゆっくりしたい。他のおうちがコンビニ弁当でもかまわない。

 

ただ、帰宅してからそんな話をして、私が「お弁当と”作るもの”なんだよね。買うものではなくて。」と言った時に、長女が「そんなお母さんで良かった。」と言ってくれたのです。

私はそのひと言が死ぬほど嬉しかった。

これまで、電子レンジも使わずにご飯を作ってきて良かったと思えた瞬間でした。

 

昔、まだ長女が赤ちゃんだった頃。

私の友達に「離乳食なんて全部買ってる〜!作ったことなんてな〜い!」と言っていた人がいました。

 

私はその頃、離乳食は全部作ったものを食べさせたい、と思って、一生懸命野菜を裏ごししたりしてたんです。

面倒だったけど。レンジもないし。

だから、「すべて手作りで食べさせるのと、買ったものを食べさせるのと、結果は同じなんだろうか。それでも同じように育つんだろうか。」と疑問に思ったのでした。

どんなものを食べさせても同じように育つなら、私がやっていることって無駄なんだろうかって。

でもその時に「そんなことはないよ。きっと後で違いが出る。」と夫が言ってくれたのでした。

 

その違いとやらが出たのが、長女の言葉だと思うのです。

長女はうちのご飯が一番おいしいと言ってくれます。買ったものは好きじゃないし、美味しいとも言わないです。

今長女は高校生ですが、最初の頃は毎日お弁当だった友達が、最近ではコンビニなどで買う子が増えてきた、と。

そんなのは嫌だと言って、お弁当を持っていきたいと言うんです。

コンビニ弁当を美味しいと思わない子に育ってくれて良かったと思いました。毎日ご飯を作ってきて良かったと思いました。

 

そりゃ、仕事をしているのでたまには惣菜を買ったりもしますし、外でご飯を食べることもあります。

でも、うちのご飯が一番だと言ってくれる家族が本当にありがたいと思います。

 

<スポンサードリンク>

 

今日はいい日だ、という娘の口癖が好き。

f:id:kahohime:20171025132730j:plain

今日のお昼ご飯美味しかったね。

テレビ、面白かったね。

今日は欲しいと思ってた本が買えた〜〜。

たっぷり昼寝して気持ちいい〜〜〜〜。

 

日常の、ちょっとしたことで幸せになれるのが長女の特技です。

 

そして1日を終える時に

「今日はいい日だ!」と、1日を振り返り、その日にあった楽しいことを噛み締めています。

 

これはとても素晴らしいことだと思っているのです。特別なことではなくても、今日はこんなことをして楽しかったな、と思って眠りにつける。

とても幸せなことだと思います。

 

そして、そんな娘の口癖が、私は大好きです。

一緒に出掛けたりすると、今日は楽しかった、今日はいい日だ、と連発するので、一緒にいて楽しいのです。

 

自分も楽しいし、一緒にいる人も幸せな気分にさせる、こんな素敵な口癖、ずっと忘れないでいて欲しいなと思います。

 

<スポンサードリンク>

 

 

25年振りのタカノフルーツパーラー

f:id:kahohime:20171025093728j:plain

大学生の頃、友達に誘われてタカノフルーツパーラーのビュッフェに行きました。

私はケーキ類があまり好きではないので、ひたすらフルーツを食べていたけど、タカノのケーキは甘さが控えめで、ケーキが苦手な私でも食べられるおいしいケーキでした。

 

それから早25年ほどが経ち、先日長女と一緒に再びタカノフルーツパーラーを訪れました。

 

そこで感じたことは、変わってないなあということ。

もちろん、メニューなどは常に美味しいものを追求されていると思いますが、サービスとかフルーツのおいしさとか、そのお店が提供している価値ですね、そういったものが昔のままで、とても嬉しくなりました。

 

大学生の頃は割と食べる方だったので、ひたすら巨峰を食べて、お皿一杯に皮を積み上げた記憶があったのですが、さすがに40代ともなるとそんなに食べられません。

娘も少食なので、ビュッフェはいつも「どれを食べようか」と真剣に吟味しないといけないのです。

今回も、どれから食べよう、このフルーツは必ず食べたいね、など色々考えながら食べました。

25年も前に若かりし頃の私が来たこの店で、娘と二人で食事をする。なんて感慨深いんだろう!!

早めに行って並んだ甲斐がありました。

少食なので、すぐにお腹がいっぱいになってしまうから、あまり長居はしないのですが、とても楽しい時間が過ごせました。

タカノフルーツパーラーはインターネットで予約が可能ですが、当日席も用意してあります。少し早めにいけば入れますよ。

<スポンサードリンク>

 

主語を大きくしないで欲しい

f:id:kahohime:20171022140601j:plain

「子連れはうるさい」とか「ベビーカーは邪魔だ」とか、子連れの女性に対して良くない思いを持っている人が多いなあと思いますが、確かに、マナーの悪い子連れはたくさんいます。

でも、そうでない人もたくさんいるはず。

なのに、たまたまマナーの悪い子連れに出会ってしまった人は、「だから子連れは」というような言い方をします。

 

 

子連れのマナーの悪さでイヤな思いをしたとしても、

「今日電車の中にいた子連れの女性は、子どもが騒いでも全く注意をしなくて不愉快だった」など、「特定の」人に向けて文句を言えばいいのであって、それを「だから子連れは」と、子連れ全部を批判しないで欲しいなと思うのです。

 

それと同じで、

「妊婦は」

「専業主婦は」

「働く母親は」

「女性は」

と、何でもひとくくりにして、批判する人がいるのがいただけないと思います。

 

主語を大きくし過ぎです。それは、批判する方にもされる方にもメリットがないことだと思います。

何もしていないのに、関係ないことで批判されるのもイヤだし、1度イヤな思いをしたからといって、何でもかんでも批判するような心の狭い人間にもなりたくありません。

 

だいたい、人というのはそうそう大きく変わらないのであって、例えば子連れでマナーが悪い人は、子どもがいなくてもマナーが悪いものです。子どものせいではありません。

 

だから、何かを批判したくなったら、その人のその行為を批判するのはいいけど、「○○は」とひとくくりにしない方がいいなと思っています。

 

少なくとも、自分が同じようなことで人を不快にさせていないか、見直すいいきっかけになる、くらいの気持ちでいた方がいいかもしれません。

 

<スポンサードリンク>