いつもこころに太陽を。

念願の「書くこと」を仕事に。言葉の力でもっとたくさんの人を幸せに出来たらいいなと思っています。

宝物は近くにある

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毎日起きて、挨拶する人がいるとか、美味しいご飯が食べられるとか、何もトラブルが起きないとか。
そんな当たり前の日々が宝物なのだということは、当たり前の日々を過ごしている時にはなかなかわからないものだと思います。
 
結婚生活を長く続けていると、いろいろありますが、家族みんな、健康で毎日を過ごせているというのが、何よりの宝物なのだということを、強く思います。
 
以前は馬鹿にしていたコンビニスイーツ、娘と一緒に買いに行って、これは結構いけるねと、あれこれ試すのが最近の楽しみ。こんなたわいもないことで楽しめるのは、子供達のおかげです。
 
どうにも人間というのはないものねだりで、あれこれと欲が出てくる生き物ですが、大切なものは意外と近くにあるのだなと、時折思い出すように、心がけています。

 

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今の自分を受け入れない限り、そこから前に進むことはない

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理想を持つことは大事だけれど、理想ばかり見ていても先には進めない。
 
今の自分を受け入れること。これ、とても大事です。
 
できない自分、失敗ばかりする自分。受け入れるのには勇気がいります。
 
思うようにいいかないこと、できないことが、恥ずかしいし、悔しいし、認めたくないという気持ちがあると思います。だけど、それが現実なのです。現実を受け入れない限り、そこから成長することはないのです。
 
こんな私でも頑張ってみよう、そう思えるかどうか。
 
理想ばかり見ている人は、ルームウェアで富士山に登ろうとしているようなもので、能力以前の問題だということです。準備が足りないのです。
 
でも、できないことは心のどこかでわかっているから、本気で登ることにはチャレンジせずにルームウェアのままヘリコプターに乗って、富士山を上空から見て、「やっぱり高いところはいいよね」と登った気分だけ味わってる。
 
でもそれじゃ、登ったことにはならない。そんなことも、心のどこかでわかってるはず。
 
理想だけが高くて、現実を受け入れていない人は、飛行機に乗って上空から富士山の頂上を眺めているようなものなのです。登った気になっているけど、登れてない。自分が一番よくわかっていることだと思うのですが、それを認める勇気はまだ持てない。
 
登れてない自分、できてない自分を受け入れないと、登る準備はいつまでたっても始まらない。
 
今の自分を受け入れるということは、どんな装備が必要なのか、どんな準備が必要なのかがリストアップできることだと思います。
 
これができたら、きっと強くなれるし、先に進めます。
 
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夫に気持ちよく家事をやってもらう方法?そんなことを考えることすら馬鹿馬鹿しい

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私は「家事を手伝う」とか「家事に協力的」という言葉が嫌いです。

そう言っている時点で、「自分がやるべきこと」だとは思っていないからです。

自分の家のことなのに。自分の身の回りのことなのに。

私は家政婦じゃありませんよ、とよく思います。

何ですか、協力って。

でも、しょうがない。どうにかしてやってもらう方法を考えなくてはいけません。

夫が家事を手伝わない!とイライラしている奥様方はたくさんいると思います。

うちは、たまにお掃除はしてくれます。お布団は干してくれます。

でも、料理は出来ないので、炊事は基本的に手伝いません。

たまにインスタントラーメン作ります。 これが他のご家庭と比べてどうなのかはわかりません。

本当に、まったくやらないという夫から見たら、やるほうなのかもしれないし、家事が好きな夫から見たら、まだ全然だよというレベルかもしれません。

ここで大事なのは、「私がどのくらいやって欲しいと思っているのか」ということだと思うんです。 他の家庭がどうかは問題ではないのです。

気持ちよく家事をやってもらうにはどうしたらいいのか

専業主夫希望の男性がもっといてもいいと思いますが、日本は男性は家事が出来なくても当たり前です。

おかしいですね。

妻が働いていたら、夫も家事をやるのは当たり前だと思うのですが、そういってしまうと角が立つので、「当たり前」だといわないこと、思わないことがポイントだと。

ネットの記事にはよく、「夫に感謝しましょう」とか「夫を褒めましょう」なんて書いてあります。子供か。

妻は家事をやってありがとうなんて言われないのに。言

ってくれるお家もあると思いますが、うちはそんなことありません。 で

すから、もう、夫になど期待しないのが一番だと思うようになりました。

イライラするので、「察してもらおう」と思わないこと

男性は女性の気持ちを「察する」ということが出来ません。仕事が出来る男性でも、妻が「これを手伝って欲しい」と思っていることはなぜか察することが出来ないのです。

だから、もし何かやってほしいことがあるなら、ストレートに「重いから布団干しを手伝って欲しいな」と口に出していった方がいいです。

そうしないとわからないから。 「お願い」しないとわかりません。

だから、やって欲しいことがあるなら、ちゃんと言いましょう。

出来ることを見繕って頼む

やり慣れていないことをやって、いつもの手順と違うことをされても、自分がイライラするだけです。

ですから、誰でも出来るようなことから徐々に仕事を増やしていくのがポイントです。

  • ゴミ出し(まとめるのは自分、出してもらうだけ)
  • お風呂掃除(洗うだけなんだから出来るでしょう)
  • タオルをたたむ(服はたためなくてもタオルはたためるでしょう)

など、夫一人で出来て、かつ、やり直しをしなくてもいい仕事から慣れてもらいます。

頼んだら口を出さない

頼んだからには口を出してはいけません。

え、これはここにしまうんじゃないよ、とか、え、ここ掃除できてないじゃん、とか、あれこれ言いたいことがあっても我慢。

頼んだんだから、任せるんです。

そうしないと、「文句を言うんだったら自分でやればいいだろ!」となってしまうからです。

どうしてもやり直したいなら、見てないところでやりましょう。

いつになったら男が進んで家事をやるようになるんだろう

家事の分担。いつになったらこの問題は解決するんだろう。

私はフリーランスになってから、家事の比重が増えました。

まあ、通勤時間がないんだから仕方ないかとも思うけれど、その分、自分の仕事の時間が削られるのは何だか割り切れない気持ちも。

ですから、すこ〜しずつ何かをやってもらおうと思い、「洗い物をしてください。私は家事の中で洗い物が一番嫌いです」といって、やってもらっています。

それでも、やらない時があります。まじで腹たちます。

でも、言わなきゃさらにやりません。

世の奥様方も、やって欲しいことがあったら、やって欲しいと素直に言ってみた方がいいかもしれないです。 意外と「いいよ」ってやってくれるかも。

 


言わなくても察してくれるはず、わかってくれるはず、と思っているとイライラしますから口に出したほうがいいですよ。

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もう、元には戻れない

今日は、末っ子と小学校へ。
休校中の課題を取りに行ってきました。
 
子どもだけで行かせても良かったし、自分がささっと自転車で取りに行っても良かったのだけど、なんとなく娘と二人で歩きたくて、一緒に行いきました。
 
3月2日からの休校措置で、もう2ヶ月以上、学校へ行っていません。
おかげで私も、朝早起きしなくて済んでいるのですが、最初の頃は家族みんなが家にいるのは変な感じがしていたのに、人というのは慣れる生き物ですね。子供達が、平日なのに家にいるのが普通に感じられます。
 
今日はとても気温が高く、風はありましたが、とても暑い日でした。これから、学校が再開されても、しばらくはマスクが必須の生活になるのでしょう。
 
この時期に、風でも引かない限り、マスクなんてしませんでしたよね。でも、おそらく、年中マスクをする生活になるんでしょうね。
 
人と不必要に近づかないとか、常に窓を開けておくとか、触ったところは消毒するとか、生活様式が全く変わってしまう。それでも、良い方向へ行けばいいんですけどね。
 
こんな風に、ある日突然生活がガラッと変わるってこと、これからもきっとあるんでしょう。
 
でも私たちは、柔軟性がある。こうなってしまったことを嘆いても仕方ないので、どうやって適応して、自分たちが変化していくか、その中で進化していくかってことを、子供達と考えたいなと思います。

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ある日突然、日常が非日常に。

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地震とか大雨、洪水、土砂崩れ。
そういった災害のニュースを見るたびに、本当に気の毒だと思いながらも、どこか他人事のように感じていた部分があります。
テレビの中で起きている出来事、といった感じ。
少しでも力になれればと募金などはしますが(ボランティアには行けないので)、それがどう役立っているかもわからず、やっぱりどこか遠くで起きている出来事のように感じてしまっていました。
 
今回、世界中で起きた新型ウィルスの被害。
私の生活も、「非日常」になりました。
もちろん、直接災害にあったわけではないので、家はあるし、ライフラインも止まっていません。
災害のあわれた方の苦労に比べれば、ごくごく小さなものです。
 
しかし、子供達は新年度になってから、一度も学校へ行けていません。
1学期中に再開できるのかどうかも疑問です。
受験生を持つ親御さんは、本当に心配だと思います。
これからどうなっちゃうんだろう。
わからないのが何より怖いですよね。
 
数年前に、SARS が流行った時の方が、怖いと感じたのに。
正直、新型ウイルスといっても、インフルエンザに毛が生えた程度でしょ?って思ってたのに。
 
まさか、日常生活がこんなに制限されるとは思いもしませんでした。
こんなに先が見えなくなるなんて。
 
長女は大学に入ったら、勉強しながらアルバイトして〜なんて思っていましたが、学生のバイトの王道である接客業は、今はできないですね。
 
家にいる間は命の危険を感じることはないとはいえ、いつ終わるともしれないウイルスとの戦い。
今年のお正月頃、春にこんなことが起きているなんて、思いもしなかったし、花見ができないなんて、想像もしていませんでした。
 
いつもの日常が突然奪われるということが、誰にでもあることなんだと、今見にしみて感じています。
 
普通に暮らせるってことは、こんなにもありがたいことだったんですね。
 

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情報弱者にならず、正しく恐れること

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コロナが流行りだしてから、正確な情報を得ることがどれほど大事かと身にしみています。
 
デマに踊らされた人がティッシュやトイレットペーパー、おむつや生理用品まで買い占め、本当に必要としている人の手に入らないという、異常な事態。
 
人はパニックになると、人のことなんてどうでもよくなるんだなと思って、恐ろしくなりました。私はオイルショックを経験していませんので、災害も起きていないのに生活物資を求めて人が殺到するという現場を初めて見たわけです。
 
もし、「トイレットペーパーがなくなるらしいよ」と言われても、情報に強い人は、「それ、どこの誰から聞いたの?」と疑問に思うでしょう。
 
そして、「トイレットペーパーは中国産、中国から紙が来なくなるから、日本のペーパー類もなくなる」という情報がデマだということは、少し調べればわかることなので、パニックになることはないのです。
 
しかし、疑問に思うとか、自分で調べるという癖がついていないと、どこの誰が言ったかわからないような情報に踊らされて、パニックになるわけです。
 
まだ、紙で良かったし、実際に紙は無くなっていないので良かったですが、これが人の安全とか命に関わる情報だったらどうするんだろうと思うのです。
 
人から聞いたことをそのまま信じるのではなくて、「それ、本当?」と疑問に思う癖をつけていかないといけない。そうしないと、嘘やデマに踊らされて、自分自身が取り返しのつかないことをしてしまうかもしれない。
 
落ち着け。まず、落ち着け。
それは本当か、よく考えろ。
わからなければ、調べろ。
なんのためにインターネットがあるんだ。
 
もちろん、これだけの情報が溢れているから、情報の取捨選択は必要ですが、誰が言っていることなのか、それはどのようなエビデンスに基づいた情報なのか、正しいことをしっかり見極める目を持ちたいと思います。
 
最悪のシナリオを想定して、備えることはとても大切だと思います。日本はただでさえ地震などの災害が多い国ですから、そのための備えは必要です。平和ボケして能天気でいるのも困ると思います。
 
しかし、不要なものまで買い占めて、他の人に迷惑をかけるような恥ずかしい真似はしたくないです。

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仕事なんて嫌いでもいいと思う。キラキラしてなくても楽しく生きられる

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仕事にやりがい、生きがいを感じていますか?
 
私は今でこそ、仕事が楽しいですが、40代も終わりに差し掛かり、ここへきてようやく楽しくなってきた、という感じです。
 
今の仕事をする前の数年間は、毎日やめたい、やめたいと思っていました。
 
でもやめられずにいたのは、やっぱりお金が大事だからです。
 
一人だったらなんとかなりますが、子供を育てていくにはそうはいかない。だから働くしかない。その思いだけで、仕事を続けていたような感じです。
 
その頃の私のように、今の仕事が辛いな、やめたいなと思っている人はたくさんいると思います。仕事にやりがいとか生きがいを感じている人を見ると、羨ましくなったりしてね。
 
私が仕事やめたいなあと思っていた頃って、アメブロフェイスブックで、女性の起業ブームが起きていました。キラキラ起業女子、みたいなヤツ。それに乗って、失敗した人もたくさんいると思うのだけど、仕事って、本当にやりがい、生きがいが必要?って疑ってみることも大事ですよ。
 
なんのために仕事をするか。大多数の人は生活費を稼ぐためなのだから、そこに無理してやりがいなんて求めなくてもいいのではないかと思っています。
 
やりがいがあればもちろんそれに越したことはないけど、無理する必要はないってことです。
 
たくさんお金が欲しいなら、やりがいではなくて、自分の能力を活かせるところを探すとか、もっとお金がもらえるように能力を上げるとか、他に方法がたくさんあります。
 
だから、やりがい=高給ではないのです。
 
やりがいさえあればお金はいらない!という人は、どんどんやりがいを求めていけばいいけれど、働く目的の第一がお金だったら、無理してやりがいを求めない方が、楽な気持ちで仕事ができるのではないでしょうか。
 
仕事にやりがいを感じて充実してる!という人を見ると、仕事が嫌いな自分がなんだかダメなように思えてくるかもしれないけれど、別に仕事が嫌いでもいいと思う。無理して好きになる必要はないです。
 
好きになる必要はないけど、少しでも早く帰れるように効率アップしたり、スキルを上げる必要はあると思うけど、それはあくまでもお給料のため。
 
そして、そのお給料を気持ちよく使えるようにするため。
 
そう、大事なのはお給料の使い道であって、やりがいではないのではないかな。自分が稼いだお金を楽しく使って、毎日気分良く過ごせるなら、仕事が嫌いでも「お金のため」と割り切ってやればいい。
 
で、週末の楽しみとか、自分へのご褒美を考えて、目の前にある仕事を着々とこなしていく。そんな風にしていると、効率よくやることが楽しくなってきて、いつの間にか仕事が好きになってる、ってことはありますよ。
 
つまり、仕事が好きだからやりがいを感じるのではなくて、お金のために仕事を頑張っていたら、嫌いだった仕事もいつしか好きになって、やりがいも感じられるようになっていた、ということが起こり得ます。
 
だから、今は仕事が嫌いでも大丈夫。とりあえず、目の前の仕事をちゃっちゃと片付ける工夫をしてみてください。
 
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